取りあえず。例の秘密に関しては、すぐわかっちゃいました。 「ジェイコブズラダー」の時もそうで、あのときはそうとわかると途端に 興味薄れるというか底の薄い映画だったんですが、今回は映画としては格段に よくできてましたねー。でもだからこそラストちょっと違うよなーという感じ。 あのコール君は、どの時点からかはともかく確実にマルコムが死んでるとわかってますよね。 それはオーケー。でも、マルコムが自覚して無いというのがどうも解せないのです。 途中、コール君に、自分がなぜコール君の治療に向かうことになったかを語る場面がありますよね。 あの時点でこっちはマルコムの自覚はあるんだと思ってしまいました。 その後の台詞も、確かに観客にそうとわからせないためが半分とは言え、 自覚してないとかえっておかしいと思えるところが結構あるような。 「夫婦の親密な会話をもう一度やりたい」とか。 コール君と別れるところでも、あれは自覚してない方が不自然な別れ方ではないですかね? 生きてりゃいつでも会えるでしょう。 だもんでラストはマルコムが自分でビックリするというのでなく、ヴィンセント君がきて、 「今度はやっと僕を本当に治療してくれる番だね」とにっこりする、 というようなものではないかと思いました。 もちろん頭に穴空いてるんだけど(笑) それができて初めて二人とも成仏できるという感じ。 日本的すぎるかな?でも監督インド人だし、そう間違ってないような気がするんですけど、 どうですかね? どうもあのマルコムのビックリはハリウッド風にああするよう要求された気がして。
’99/11/27